さんちゃんのプロフィール

自分らしく生きるめに、教師をやまめました

はじめまして。さんちゃんです。17年間小学校の教師をしていました。

僕はシロクマくんです。

先生としての経歴
  • 17年間 小学校の教師
  • 通常学級
  • 通級指導教室
  • 自閉・情緒障がい児学級

17年間の教師人生の中でたくさんの子ども達と家庭を見てきました。そのなかで確実に成長する子とそうでない子その違いがあることに気がつきました。

その違いは「子どもへの関わり方」でした。大人が子どもにどのように関わるのかで子どもの成長は全く違うものになります。

発達障害やグレーゾーンの子も?

もちろんだよ!

「大人自身が子どもとどう向き合うか?」「大人が自分自身とどう向き合うか?」で子どもに与える影響は良くも悪くもなることを保護者へ伝えてきました。

しかし学校現場では限界があると感じて『さんちゃんコーチング』を立ち上げました。

さんちゃんコーチング

コーチングで得られること
  • 劣等感を強みに変えることができる
  • 自分の子育てに自信が持てる
  • 子どもの成長に気づくことが増える
  • 子どもに怒る回数が減る
  • 子どもにイライラすることが減る
  • 家族が仲良くなる
  • 子どもの自己肯定感が上がる
  • 子どもが苦手なことにチャレンジできるようになる
  • 子どもが気持ちのコントロールができるようになる
  • 子どもが自ら行動できるようになる

コーチング以外にも、こんな事をしているよ。

いろいろやっているねー

コーチング以外の活動
  • 支援学級で子ども達に実践し効果のあったことの情報発信 さんちゃんブログ
  • 子どもたちと海でサーフィン・山を駆け回る活動のスタッフ 原っぱ大学
  • アイアン工房での工員 PANZ FACTORY
  • 個性を活かして学び合える場 オンライン×リアルの学習『マナビー」
  • 子ども達との焚き火プロジェクト 『焚き火の時間』

いろいろな個性を持って生まれてきたという点では、子どもも大人も同じだと思っています。しかも個性はバラバラで凸凹。まるでジグソーパズルのような形をしています。だからこそ、それぞれが合わさることで見えなかった絵を完成させられます。

だからこそ、それぞれが合わさることで見えなかった絵を完成させられます。しかし今の社会では個性よりも「同じ」を目指します。それは時には躾だったり学校での指導だったり。

「同じこと」を「同じように」、「同じやり方で」、「同じペースで」取り組んでいくことに違和感を感じることが多くありました。

例えば運動会。

「大きな声出せ!」
「みんなが一所懸命にやっているのに、なんでやらないんだ!」


大きな声を張り上げて子どもたちに練習をさせます。すきな子どもには良いですが運動が苦手な子どもや集団での活動が苦手な子どもにしたら、とても辛い時期です。
苦手な子どもにはあまり目が向きません。「むしろ苦手だからこそ、頑張ろう!!」と励ましあいます。


みんな同じことにどれだけの価値があるのだろう?
そんなことをよく思っていました。

がんばることはダメなの?

そうではないよ。

みんな同じことに対して頑張る。それは素晴らしいことだと思います。けれども個性の活かし方はそれぞれでもいいのではないか?と思っています。

運動会を例に上げるなら踊りがやりたい子は踊りを踊る。裁縫が得意な子は衣装を作る。など個性を活かし合えればいいと思っていました。

しかし学校の現場では皆同じことを求められできるようにする。といった世界でした。学校現場では僕のしたいことに限界を感じていました。

さんちゃんの考え

ここからは、僕が大切にしていることを紹介します。

僕の理念
  • 誰もが素晴らしい個性をもっている存在
  • 個性に合った生き方で人は輝く
  • 大人が変わることで子どもは変わる
  • 劣等感は強みに変わる

僕が目指す世界
  • だれもが安心して個性を認め合える世
そのために僕ができることは
  • 対話によって悩みを解決に導く

お子さんとの接し方で悩んだことある方に、僕がお役にたてること

いろいろな相談がありそうだね。

うん。たくさん相談にのってきたよ。

17年間の教師時代にたくさんの子ども達と関わってきました。

・通常学級
・通級教室
・支援学級
特に支援教育には10年以上携わってきました。子どもたちの相談や保護者からの相談。そして同僚からの相談。パパ友、ママ友からの相談にも多く関わってきました。

僕なりの悩みのパターンと解決策が確立されていったんです。目の前にあるイライラや問題は本質的な問題ではないことがたくさんの子どもや保護者との面談や相談から見えてきたんです。目の前の問題も解決しながら奥に隠れている問題を作るパターンも、一緒に解決していくといったイメージです。

こんなことで悩んでいませんか?
  • 支度が遅いときにイライラ
  • 何でも頼ってくることにイライラ
  • 言うことを聞かない子どもにイライラ
  • 宿題をやらない
  • 感情的にどなってしまった
  • 怒ってしまった後に、自己嫌悪に陥ってしまう
  • 八つ当たりをしてしまった
  • 子どもの気持ちがわからない
  • 友人関係が不安
  • 発達障害かもしれない?
  • パートナーが子育てや学校に無関心
  • 学校の先生の対応が合わない

もし当てはまる悩みがあればお役に立てるかもしれません。

さんちゃんの子ども時代 小学校〜中学校】

子どもの頃はどんな子どもだったの?

お調子ものだったよ。

友達と野球をしたり、ファミコンで「スパルタンX」をして遊んでいました。特別に足が速いわけでもなく勉強ができるわけでもない。どこにでもいる平均的な小学生でした。友達を笑わしたい!!という気持ちは人一倍でした。

何をやるにも面白いことをしたい!という気持ちがありました。僕は『THEお調子者』な一面があります。友達に乗せられると、その気になってしまう小学生でした。

そんな『THEお調子者」のエピソードがあります。小学校の6年生の時でした。児童会という子ども達の役員選挙がありました。各クラスから候補者を1人選出するのですが、誰も手をあげません。

「ねぇ、さんちゃん。児童会やれよ」と友達の一人が僕に声をかけてきました。「何言ってんだよ。児童会なんて真面目くんのやることだぜ。」と僕は言い返しました。しかし内心は「目立つかも?!」なんて思っていたわけです。

「さんちゃんしかいない!!」
「さんちゃん、頼むよ!」

その声にまんざらでもなかった僕は手を上げて立候補することに。そして児童会長になったんですね。今思えば休み時間前だったので、さっさと決めて校庭でドッジボールをやりたいがために乗せられていたわけでしたが。

中学校でも「お調子者」だったなー。

そんな感じだね。

中学に進学しても『THEお調子者」気質は健在でした。勉強はできない。運動もそこまでできるわけでもない。でも友達を笑顔にしたい!そんな中学生でした。そしてまたもや友達に乗せられる事件が起こりました。

それは「さんちゃん、やってよ!」そんなことを言われると『THEお調子者』魂がムクムクしてきます。「目立つかも?!」そして当選。生徒会長になりました。とにかくお調子者の小学校・中学校時代でした。

ここまで記事を見ているあたなたは、僕のことをどう思うでしょうか?小学校も中学校も楽しく過ごしていたんだね!!ルンルン〜と思うかもしれません。しかし『THEお調子者』になった理由が僕にはありました。

『THEお調子者』は外界を生きるための仮の姿でした。僕の幼少期に原因があります。
僕の家庭は両親が共働きで祖父母と暮らす一般的な家庭です。その中で僕は育ちました。
どこの家庭にもあるように楽しいこともあれば両親の喧嘩、嫁姑の問題など家族の不和もたくさんありました。

その様子を見て僕はある決断をしたんです。

どんな決断をしたの?

それはね、、、

「僕は生まれて来なければよかった」と決めたことです。周りの人からみたら「それだけのことで?」となるでしょう。それからというもの「僕なんていなければいい」と心の奥にずっと持ち続けていました。

だからこそ『THEお調子者』として生きてきました。 さらに『周りからどう思われているか?』常に他人を意識するようになりました。
こうして世界を生き抜くための僕なりの戦略パターンを獲得していきました。

僕は悲劇的な家庭で育っているわけではないんです。どこにでもある一般て的な家族の中で僕は育ちました。 それ以上に辛い経験をしている方でも前向きに生きている方はたくさんいます。

しかし僕は違いました。

【高校時代〜大学時代】

高校生でもお調子者だったの?

まぁね。

高校生になっても「僕なんか必要ない」、「THEお調子者」という思考パターンで生活をしていました。そして心のバランスが崩れていきました。いつしか心と体と思考がバラバラのグチャグチャになっていったんです。内面がグチャグチャなので現実の出来事にも現れてきました。

例えばこんなことがありました。

さんちゃんの変化
  • 遅刻ばかりする
  • 成績が悪くなる (360人中350位!!)
  • 親にも反抗的になる
  • 謹慎になる×2回

小学生・中学生の僕はどこへやら??僕は自分でもいうの変ですがそんな悪いことをするタイプではないんですよね。『THEお調子者』の僕。ついついカッコつけちゃうところがありました。そんなエピソードは学校帰りのことでした。

高校2年生の頃の僕は『THEお調子者』なので悪いことをすることに憧れを持っていました。
学校帰りにタ○コを吸っていました。

「今日、何して遊ぶ??」
「帰りにマックにでも寄ろうか?」

なんて数人の友達と話をしていたのですが、そこへいつもはいないはずの先生が通りかかって見つかってしまいました。

「学校に来るように」その一言だけ言い残して先生は去って行きました。次の日から2週間の謹慎になるわけですがこのこのことが僕の将来を方向付けることになるとは、このときは何も知るよしもありませんでした。(ちなみに僕は現在ノンスモーカーです!!)

それからどうなったの?

2週間の謹慎に。。。。

当時の僕の担任の先生は体育教師のN先生でした。怒るとすごく怖くてキン肉マンの『アシュラマン』みたいな鬼の形相で怒る先生でした。その先生に一通り怒られてから謹慎生活がスタートしました。

謹慎の場所は本校舎から離れた体育教官室。いつもは体育の授業でN先生はおらず、たまに部屋に戻り僕を見に来る程度でしたので僕も気が楽でした。ある日、N先生に空き時間があり2時間続きで僕と2人きりになったんです。

「ガチャ」錆びた鉄製のドアを開けて先生がゆっくりと入って来ました。出席簿を机に置いてから、コーヒーを入れたマグカップを僕の座っている長机に置いて喋り始めました。
「お前の気持ちも分かるよ。」と僕に向かって話しかけてきたんです。

「えっ???」(;´∀`)

「何言ってるんすか??先生?」(;´∀`)

僕は自分の耳を疑いました。先生は話を続けました。時折、向かいの窓の外を見ながら。怒るでもなく責めるでもなく指導するでもない。僕のことを気にかけてくれました。その言葉の余韻が不思議でした。なんとも感じたことこのない感覚で、安心を感じたのを今でも覚えています。

「この人なら、僕のことを話してもいいのかもしれない。」そんな気持ちでした。僕のことを認めてくれた感じがしたんです。心がほんわか温かくなったこと、心のモヤモヤがすーっと静かになったことが嬉しかったんです。

何を話したの?

こんなことだよ。

話した内容
  • N先生はなぜ先生になったのか?
  • お互いの趣味
  • お互いの苦手なこと

気づけば時間を忘れて話していました。そんな体験からいつかN先生のように安心感を与えるような人になりたいと思うようになりました。

そして大学生。相変わらず勉強は苦手でしたがなんとか夜間の大学に入学することができました。夜間の大学は昼間の大学の華やかさはないもののミュージシャンの卵、新聞記者、会社員などいろいろな友達に刺激を受けました。

大学生という特権を活かし小学生の子ども達と関わるキャンプや、ボランティアなどにも参加しました。そして、僕も小学校の先生になりた!と強く思いました!!

N先生との出会いが僕の人生を変えたんだよ。

いい先生に出会えて良かったねぇ。

さんちゃん小学校教師になる

いよいよ小学校の教師になれたんだ!

「N先生みたいに安心感を与えられる先生になるんだ!」と熱い気持ちで教師生活がスタートしました。初めて受け持ったのは4年生でした。1日でも早く子ども達の名前と顔を覚えようと、子ども達の写真と名前をノートに張って持ち歩いていました。


「先生遊ぼうよ!」
「先生は食べ物で何が好き?」
「先生の家はどこにあるの?」

僕の周りにたくさんの子どもたちが集まり一斉に質問してきます。ちょっとした有名人になった気持ちがして嬉しかったのを思い出します。

子どもたちと一緒の時間を作ろうと思い、休み時間はグランドに出てサッカーやドッジボールをしていました。子どもたちと一緒にいる時間が楽しくてしょうがなかったです。「先生」と呼ばれることにも何だか嬉しい気持ちでした。

「僕が思っていた世界が今ここにあるんだ」と思っていました。

最後に牛乳で流し込む給食

先生は忙しいと聞くけどどうだったの?

やることが多くて休憩の時間はなかったよ。

教師という職場は本当に忙しいと思います。ノンストップの職場です。僕の予想を遥かに超えていました。僕は初任時代に7:00には学校に到着して一日の準備をしていました。1日の仕事を終えるのが21:00。休憩はありません。

給食の時間はゆっくり食べることはできません。配膳、給食当番のサポート子どもの対応など。僕は5分で食べることがしょっちゅうでした。口に入れて飲み込む。そして牛乳で流し込む。そんな感じでした。

毎日、持ち帰りの仕事があったよ。

これは大変だー。

教師の忙しさ
  • 膨大の書類の処理
  • 保護者の対応
  • 子供同士のトラブルの対応
  • 減らない会議
  • 会議のための資料作り
  • 研修の資料作り
  • 集金の確認・金額の確認
  • 校務分掌(自分の担当での役割)

仕事が終わらずに家に持ち帰るのは当たり前。
それでも終わらないときは土日の出勤をすることもありました。僕は勉強が苦手でした。だからこそ少しでもわかりやすい授業をしたい気持ちがありました。

やることが多すぎて教材研究に時間をかけられないというジレンマを抱えていました。子どもたちの事を思えば思うほど、時間は足りない日々でした。

教師になってわかった現実  複雑な人間関係

他には大変なことはなかったの?

職場の人間関係にも悩んだことがあったな。。。

教師になって嬉しいときは子どもの笑顔を見れるときです。子どもの笑顔は僕のエネルギーになっていました。それと同じくらいに嬉しいのが保護者からの感謝の言葉です。そうでない時もたくさん経験しました。

「あんたには勉強を期待してないから」、
「お前は家の子どものなにが分かるんだ!」
「何も分かっていませんね!」

怒鳴られることも度々ありました。その度に心が折れそうになっていました。

先輩の先生との人間関係にとても悩みました。その先生はとても気難しい方でした。「これはどうすればいいですか?」と質問しても理不尽に無視されることが続きました。

「仲間だから助け合いましょう。」
「友達を大切にしよう」
「困った人がいたら助けてあげましょう」

と言いますが「本当は違うんだ」とショックを受けたのを覚えています。

「明日から、学校に行きたくない」
「このまま休んでしまいたい」
「もう辞めたい」

そう何度も思っていました。「今日は本当に行きたいくないんだ、今日だけ休ませてほしい」と泣きながら妻に話したこともありました。限界でした。それでも僕を突き動かしていたのは「子どもたちに安心感を感じてほしいという思いでした。」

あのときは辛かったな。

そんなことも、あったんだ。

学校は誰のもの?子どもたちのものでしょ!

先生になってから、よく考えていたことがあるんだ。

どんなこと?

それは学校はだれものか?だね。

「学校はだれのもの?」と質問されれば「子どものもの!!」ですよね。
しかし17年間の教師人生で本当に子どものためになっているのか。と疑問をもっていたのも事実でした。


その頃に長男が病気をし長期入院をすることがありました。その頃は本当に辛かったです。運良く長男の体調も回復し退院することができました。

そんな経験があったからこそ僕は、子どもへの愛情と家族の大切さを身を持って実感しました。
だからこそ命を燃やし切っていきたいと思うのと同時に、1人ひとりの命や個性を認め合える世界を実現したいという気持ちが強くなりました。


僕の理想は個性を認め合える世界です。
しかし本当に子どものため?というようなルールや雰囲気が学校全体を覆っているように感じることがたくさんありました。

教師の求める子ども像や学校全体の足並みを揃えることに重点が置かれ個性を目立たなくしている気がしてなりませんでした。子どもの学びの効率性や技術習得を重視するあまり子どもの個性を置き去りにしていると感じることもありました。

違和感を感じていたことは、こんなことだよ。

  • 子どもらしくあることへの期待(素直・元気・大きな声で挨拶)
  • 子どもは先生の言うことは聞くもの(上下のある人間関係)
  • 個人よりもクラス全体を優先すること(少数派の意見が通りにくい)
  • 苦手な行事への参加(運動会など)
  • 集団生活重視の生活(みんなで行動、廊下を歩く時もクラス単位で)
  • 授業優先の学校生活(授業時数確保に必死な現場)

僕が実現したい世界と現場でのギャップ。その違和感が日に日に強くなっていきました。もっと子どもたちとじっくり関わりたい。でもそんな時間はどこにもない。
そんな思いもあり常にモヤモヤした日々が続いていました。

あのときは、ずっとモヤモヤしていたな。

僕が見つけた天職 特別支援学級という仕事

子どもたちとじっくり関わりたい!と思っていた頃に支援学級に移動することになりました。以前から支援学級に興味を持っていたので「もちろん、やります!」と進んで学級を希望しました。僕が担当したが学級は、自閉症・情緒障害特別支援学級でした。

支援学級?

僕が担任したのは自閉症・情緒障害特別支援学級だよ。

自閉症とは、①他者との社会的関係の形成の困難さ、②言葉の発達の遅れ、③興味や関心が狭く特定のものにこだわることを特徴とする発達の障害です。その特徴は、3歳くらいまでに現れることが多いですが、成人期に症状が顕在化することもあります。中枢神経系に何らかの機能不全があると推定されています。

情緒障害とは、周囲の環境から受けるストレスによって生じたストレス反応として状況に合わない心身の状態が持続し、それらを自分の意思ではコントロールできないことが継続している状態をいいます。情緒障害の状態の現れ方や時期は様々であり、状況に合わない心身の状態を自分の意思ではコントロールできないことにより、学校生活や社会生活に適応できなくなる場合もあります。また、児童生徒本人は困難さを感じているにもかかわらず、その困難さが行動として顕在化しないため、一見すると学校生活や社会生活に適応できているように見えてしまう場合もあります。

文部科学省  特別支援教育について 4.障害に配慮した教育 (7)自閉症・情緒障害 より

なぜ天職だと思ったの?

個性に応じた支援ができるからだよ。


クラスで出会った子ども達は何かしらの生きづらさや困り感を持っていました。
本当は仲良くしたいのに「バカ」と言ってしまう。叩いてしまう。気になってちょっかいをだしてしまう。行動自体は不適切ですが行動の奥にある本音を子ども達に寄り添うことで見つけることができました。

子どもの本音がきけるのは本当にうれしいことだよ。

嬉しいね!

『対話』を通して支援学級の子どもと通常学級の子どもたちが、お互いに心を寄せ合うことで個性を認め合う場面も多く経験してきました。

「対話を通して個性を認め合う姿」
「安心して個性を認める世界」

この2つの事の出来事に胸がいっぱいになりました。

本当に感動したんです!!

保護者とも『対話』を重ねていくことでご自身の悩みを打ち明けられ涙する場面も多く経験してきました。『絡まった悩みを解きほぐす』ことで親の意識や関わり方が変わり子ども達もグングン成長する場面にたくさん出会ってきました。

親の関わり方が変わると子どもは変わります!

そして『対話』を重ねることで保護者の方が自分と向き合い前向きに変化していく様子をたくさん見ることができました。保護者の方も笑顔に変わっていきます。

大人の関わり方が変われば子どもは変わる!僕は確信を得ました。

頂いた感想
  • 「子どもの良いところを見ようと思えました。」
  • 「私も子どもと一緒に私も成長していきますね。」
  • 「先生から言われたことを子どもに伝えたらニコッとした笑顔になってました。」

関わり方次第で確実に変化する子どもたち

子ども達は『関わり方』によってそんなに変わるの?

すごく成長するよ!

「子どもたちは大人の関わり方で確実に変化する。」これは僕が得た真実です。
通常学級、通級教室、自閉症・情緒障害特別支援学級を担任したことで実感しました。
子どもたちは『本心を見抜くプロ』です。

こんなエピソードがあります。

支援学級を担任して5年目の頃です。仕事にも慣れ始め子どもたちの関係も築けていました。
自分で言うのも変ですが、良い学級でした。

しかし問題が起こります。僕が担当していた子に4年生のM君がいました。M君は思った事を口に出してしまう。M君の思い通りにならないことが起きると癇癪を起こすことがありました。

4年生になり癇癪を起こす頻度は少なくなっていました。しかし2学期になった頃から「ぼくなんてだめなんだよ」と言うことが多くなっていました。特に苦手としていた算数の時間や音楽の時間に多くありました。

イライラすると物を蹴る、叩くなどして
大きな声で

「やりたくない!」
「おれは、だめな人間だ!!」
と叫ぶことが多くありました。

保護者から「家でもイライラが増えて、学校でなにかあったんですか?」と連絡がくることが多くなりました。当時の僕はM君の表面的な行動に囚われてM君の『心に寄り添う』ことではなく『適切な指導』にばかり力を入れていました。

一向に改善されない日が続いて僕も焦りを感じていました。そんなある日、算数のプリントを早めに終えて彼の好きなオセロゲームをしたんです。その時間はとても穏やかでした。

M君は対話によって安心感を作るという大切なことを思い出させてくれました。
勉強の時間を短くして オセロ、 トランプ、 ウノ、坊主 めくりをして時間をすごしました。

M君との『対話』を通して「なぜ、自分の事をダメと思うのか?」といった絡まった思考の紐を少しずつ解きほぐすことをしていきました。何度も何度も。時間をかけて。

そうしていくうちに不思議と彼の言葉や行動が変化していきました。「家でも落ち着いて過ごすことが増えたんです。」と保護者から連絡をもらえました。

それ以降も関わり方次第で確実に変化する子どもたちをたくさん見てきました。
その度に、大人が子どもにどう関わるのかが重要なんだと気付かされました。

Mくんも進学をしてお礼の手紙がきました。すごく嬉しいですね。

うれしいね!!!

もっと、多くの人に届けたいこと

支援学級の子ども達と向き合い個性に応じた関わり方をすることで、子どもたちの成長は目を見張るものがありました。

そこに僕の魂は共鳴しました。だからこそ自閉・情緒障害児特別支援学級を天職だと思っていましたが、もっとしたいことがあることに気が付きました。

それは僕が経験したことをもっとたくさんの人に届けたいことでした。
しかし学校という現場では僕がしたいことに限界を感じ退職を選びました。

僕は17年間の教師を終えてもっと多くの人に届けたい!!!!と思っているのは3つです!

教師を辞めてでも、伝えたいこと
  • 一人ひとりが素晴らしい個性をもっている存在
  • 大人の関わり方で子どもは変わる
  • 劣等感は強みに変わる

これからは僕が経験したこと全てを活かしてだれもが安心して個性を認め合える世界をサポートしていきたいと思います!

たくさんの人に伝わるといいね。

一人でも多くの人に僕の想いが伝わるように活動していきます!!!

僕がやっているサポートの紹介

主なサービス内容
  • 子どもの劣等を強みに変える子育てコーチング
  • 劣等感を強みに変えるコーチング
コーチングで得られること
  • 子どもに怒る回数が減る
  • 自分の子育てに自信が持てる
  • 子どもの自己肯定感が上がる
  • 子どもの成長に気づく回数が多くなる
  • 子どもと一緒にいたいと思える時間が増える
  • 家族が仲良くなる
  • 子どもの成長を家族で喜び合える
  • 子どもとイライラしないで話し合いができるようになる
  • 子どもが苦手なことにチャレンジできるようになる
  • 子どもが気持ちのコントロールができるようになる
  • 子どもが自ら行動できる回数が増える
  • 劣等感を強みに変えることができる

僕で良ければ相談にのります。友だち追加してくだいね〜。

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